つづれ織りとは|京都西陣 浅田|つづれ帯

つづれ織りとは、西陣浅田綴

つづれ織りのルーツ

ルーツを訪ねる
つづれ織りの発祥は、太古バビロンであろうという説があるように、その織法は随分古代からあったとされています。紀元前1500年前後エジプトに生れコプト織りが起源とされ、漢代に織られたものと推定されているつづれ織りも中国で発見されています。南米ペルーのインカの雅趣豊かなつづれ織りもチヤンカイ文化の遺品です。このように、つづれ織りの技法は永ぃ歴史を持つだけでなく、古代から世界各地で用いられていたのです。日本へは、奈良時代の大陸文化の渡来を契機に、中国から伝わってきました。奈良法隆寺や正倉院、当麻寺に当時の遺品がいくつか残されています。
江戸時代には、幕府大奥や諸大名に愛用されました。その頃、西陣では井筒屋瀬平と言う人がつづれ織りを織ったという記録が現存しています。
つづれ織りは、大変な根気と手間の掛る作業ですから、多くは公家や社寺の家臣の手内職として織られました。文化、文政の頃(江戸時代中頃 1804〜1818年)には、京都御室の仁和寺あたりで盛んに織られ、格式のあるものとして、祇園祭の鉾の胴掛、水引、見送りなどにも用いられています。そして明治以後、日本人持前の手先の器用さをもって改良を重ねて、フランスのゴブラン織りと共に現在織物の最高峰とされるまでに高められています。その美は他の追随を許しません。
このような土壌があってこそ織物の最高峰といわれるつづれ織りが育成されたのです。
一糸一糸に魂を込めて
つづれ帯には、「爪掻つづれ」と、ジャガードを使用する「紋つづれ」があります。いづれも手織りです。爪掻つづれは、「ハツリ孔」とよぼれる柄の境界線、無地のところや柄の部分部分を、それぞれ緯糸を行ったり返したりして織りはめでゆくので、どんな複雑な図柄でも、何十種類に及ぶ彩糸も、元図どおりに織ることが可能なのです。
柄の裏面には、緯糸が出ません。従って両面使用ができます。
紋つづれは、模様の部分を合理化して織ってゆき、柄の裏面は緯糸が浮いていますので裏返して使用することはできません。
つづれ帯は、スリーシーズン締められます。
盛夏以外は年中締めていただけます。夏には絽つづれがあって、いずれも正装用に用います。

爪掻本綴帯織元 西陣浅田綴
株式会社浅田綴|京都西陣|つづれ帯/京都市上京区大宮通鞍馬口下ル東入607番地/TEL:075−432−3128

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